
(左)「功山寺仏殿」(下関市)。仏殿は国宝。義長は弘治3(1557)年4月、この寺(当時は長福寺)で自刃した。(右)周南市にある陶氏の本城「若山城跡」の桜。晴賢への顕彰活動によって370本近い桜が植樹されている
「瑠璃光寺五重塔」(山口市)。国宝。14世紀末、大内義弘(よしひろ)は最高権力者だった足利義満(よしみつ)に対して挙兵し、敗死。この五重塔は義弘の供養塔として嘉吉2(1442年)ごろ建立された。屋根は檜皮葺で、その曲線が美しく、大内氏の文化を代表する優美な塔として知られる
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「瑠璃光寺五重塔」(山口市)。国宝。14世紀末、大内義弘(よしひろ)は最高権力者だった足利義満(よしみつ)に対して挙兵し、敗死。この五重塔は義弘の供養塔として嘉吉2(1442年)ごろ建立された。屋根は檜皮葺で、その曲線が美しく、大内氏の文化を代表する優美な塔として知られる
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古写真「大寧寺(長門市深川)」(山口県文書館蔵)。撮影年不明。クーデターの際、大内義隆はこの寺で自刃。義長は兵火を被った寺の復興に着手したといい、引き続き毛利氏が復興。陶氏と姻戚関係にあった益田(ますだ)氏が山門を寄進し、毛利氏は義隆三十三回忌を行った。後に山門は焼失し、再建されたが明治時代に倒壊し、礎石(写真手前)が現在も残る。寺の背後に義隆らの墓所がある
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古写真「大寧寺(長門市深川)」(山口県文書館蔵)。撮影年不明。クーデターの際、大内義隆はこの寺で自刃。義長は兵火を被った寺の復興に着手したといい、引き続き毛利氏が復興。陶氏と姻戚関係にあった益田(ますだ)氏が山門を寄進し、毛利氏は義隆三十三回忌を行った。後に山門は焼失し、再建されたが明治時代に倒壊し、礎石(写真手前)が現在も残る。寺の背後に義隆らの墓所がある
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「大内義長書状」(山内家文書 山口県文書館蔵)。毛利氏は義長を擁して陶晴賢を討ちたいと考え、義長と晴賢の仲を裂こうと画策した。この書状は天文23(1554)年5月、毛利氏が大内氏・陶氏に対して挙兵した約半月後、義長が、疑心暗鬼になった晴賢に、裏切ろうとする心はないことを誓ったもの
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「大内義長書状」(山内家文書 山口県文書館蔵)。毛利氏は義長を擁して陶晴賢を討ちたいと考え、義長と晴賢の仲を裂こうと画策した。この書状は天文23(1554)年5月、毛利氏が大内氏・陶氏に対して挙兵した約半月後、義長が、疑心暗鬼になった晴賢に、裏切ろうとする心はないことを誓ったもの
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「弾正糸桜」(周南市鹿野総合支所提供)。周南市鹿野総合支所のそば、陶氏の有力家臣・江良(えら)氏(弾正忠)の居館跡と伝わる地にある。厳島の戦い後、毛利氏の周防国侵攻が進む中、江良氏は須々万城(周南市)を守って激しく抵抗したが、最終的に毛利氏に下った。なお、桜の開花は例年4月初旬から中旬まで
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「弾正糸桜」(周南市鹿野総合支所提供)。周南市鹿野総合支所のそば、陶氏の有力家臣・江良(えら)氏(弾正忠)の居館跡と伝わる地にある。厳島の戦い後、毛利氏の周防国侵攻が進む中、江良氏は須々万城(周南市)を守って激しく抵抗したが、最終的に毛利氏に下った。なお、桜の開花は例年4月初旬から中旬まで
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「勝山城跡遠景」(下関市教育委員会提供)。右奥の山が、勝山城があった山。義長は重臣の内藤隆世(ないとう たかよ)らと共に山口を逃れ、勝山城に籠城。防御に優れた山城で、毛利方を苦しめた。その後、義長は長福寺(現在の功山寺)へ
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「勝山城跡遠景」(下関市教育委員会提供)。右奥の山が、勝山城があった山。義長は重臣の内藤隆世(ないとう たかよ)らと共に山口を逃れ、勝山城に籠城。防御に優れた山城で、毛利方を苦しめた。その後、義長は長福寺(現在の功山寺)へ
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「大内義長の墓と伝わる宝篋印塔」(下関市)。功山寺仏殿の裏、墓地の一角にある。江戸時代にはすでに伝承となり、確かに義長の墓か、分からなくなっていた。江戸時代中期の「新裁軍記」では、義長十七回忌に当たって元就の孫・輝元(てるもと)から長福寺(現在の功山寺)に米銭が渡されていることから、やはりここが埋葬の地、としている
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「大内義長の墓と伝わる宝篋印塔」(下関市)。功山寺仏殿の裏、墓地の一角にある。江戸時代にはすでに伝承となり、確かに義長の墓か、分からなくなっていた。江戸時代中期の「新裁軍記」では、義長十七回忌に当たって元就の孫・輝元(てるもと)から長福寺(現在の功山寺)に米銭が渡されていることから、やはりここが埋葬の地、としている
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「謀略家」のイメージが広まっている毛利元就など、後に英雄とされた武将たちについて、物語や伝承で語られる姿を紹介するとともに、信頼のおける資料から実際の姿に迫る展示です。
開催期間 4月2日(日曜日)まで
元就が安芸国の郡山城(現在の広島県安芸高田市)に入城して今年で500年。それを記念し、毛利家伝来の貴重な史料を通して、大江広元(おおえのひろもと)から元就までの毛利家の歴史を紹介する企画展です。
開催期間 4月22日(土曜日)から5月28日(日曜日)まで