「山県有朋銅像」。かつて東京にあった騎馬像で、現在、萩市にある。昭和4(1929)年11月15日付の「朝日新聞」によれば、北村西望は、威厳そのものの有朋公の面影を出すことに随分苦労し、幾分やせ形の有朋公の骨格に調和させるため「軽快なすっきりしたいくらか動いている馬を創造」したという
「西望と平和祈念像」(長崎県南島原市提供)。西望は長崎県出身。『百歳のかたつむり』には「むごい戦争を地上から無くし、恒久平和を願う意味で、平和を主題にした記念像を作ってみたいと前から考えていた」「一つは天を指さして原爆を示し、一つは横に伸ばし地の平和を示す」とある
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「西望と平和祈念像」(長崎県南島原市提供)。西望は長崎県出身。『百歳のかたつむり』には「むごい戦争を地上から無くし、恒久平和を願う意味で、平和を主題にした記念像を作ってみたいと前から考えていた」「一つは天を指さして原爆を示し、一つは横に伸ばし地の平和を示す」とある
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「井の頭自然文化園内設置風景」(井の頭自然文化園提供)。昭和20年代に東京都美術館の裏へ仮移転後は台座から降ろされたままだったが、昭和37(1962)年にここへ移転後、再び台上に据えられた。後ろに見えるのが西望のアトリエ(現在のアトリエ館)。アトリエの北東に設置された
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「井の頭自然文化園内設置風景」(部分)(井の頭自然文化園提供)。昭和20年代に東京都美術館の裏へ仮移転後は台座から降ろされたままだったが、昭和37(1962)年にここへ移転後、再び台上に据えられた。後ろに見えるのが西望のアトリエ(現在のアトリエ館)。アトリエの北東に設置された
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