室町時代、西国一の栄華を誇った大名・大内(おおうち)氏。「大内氏遺跡」として昭和34(1959)年に国の史跡に指定された四つの遺跡
(※1)の中に、山口市大殿大路にある「館跡
(※2)」や、少し離れて北に位置する「築山(つきやま)跡」があります。そのうち築山跡は現在、八坂神社や築山神社など
(※3)がある地。築山跡は従来、後の江戸時代の記録など
(※4)から、大内教弘(のりひろ)が築いた、雄大な庭園があった“別邸”の地とされてきました。しかし発掘調査
(※5)などを通して、従来説とは異なることが近年見えてきました。
発掘調査の結果、築山跡は五つの段階に分かれて変遷していることが分かりました。中でも注目されるのが、第2段階以降です
(※6)。第2段階は15世紀後半から16世紀初頭、当主が大内教弘・政弘(まさひろ)父子のころに当たります。「堀」が設けられて屋敷地が初めて明確となり、その内部で掘立柱(ほったてばしら)建物跡を2棟確認。第3段階も同じ15世紀後半から16世紀初頭ですが、堀が埋め戻される大きな変化があり、第2段階から第3段階への変化はごく短期間のうちに生じたと考えられています。第4段階は16世紀前半から中頃で、全域は盛り土で整地。第5段階は16世紀後半の大内氏滅亡後で、土地の利用は途絶します。