厚狭の伝説で最も有名なものといえば「寝太郎物語」です。この街道絵図には、その物語に関わる「祢(寝)太郎塚」が描かれ、次のような文章が添えられています。「祢太郎が千町ヶ原(せんちょうがはら)に(厚狭川の)水を引く工夫をこらして
(※10)一帯を水田に変え、死後、祢太郎塚・千町塚としてまつられるようになった」。
ただし、現在の寝太郎物語はそれとはちょっと異なります。「厚狭に寝てばかりいる若者がいて、寝太郎と呼ばれて村人たちから笑われていた。3年3カ月寝たある日、起きると、庄屋である父に『千石船を作って船いっぱいのわらじを買ってくれ』と頼んだ。父は訳が分からないままその通りにしてやると、寝太郎は新しいわらじを船に積み込み、佐渡の金山へ。金山で働く人々の使い古したわらじを新しいわらじに、ただで交換。厚狭に帰ってわらじを洗って砂金を取り出し、そのお金で川を堰き止め、灌漑用水路を作り、荒れ地を豊かな水田に変えた…」。
寝太郎についての話は、もともとは街道絵図にあるようなシンプルな内容だったのでしょう。後に創作が加わり、現在のような物語になったと思われます。いずれにせよ寝太郎は厚狭の人々に感謝され、寛延3(1750)年には祠が建てられて祀られました。祠の地はかつて荒れ地から水田へと生まれ変わった千町ヶ原のほぼ中央。現在も「寝太郎荒神社」としてその地にあります
(※11)。また、千町ヶ原の最北、円応寺(えんのうじ)にあった荒神堂にも寝太郎は祀られていたといいます。昭和3(1928)年、その跡地で稲荷木像を発見。それがご神体だったのではないかと考えられ、その後、権現堂が建てられ、現在そこに稲荷木像は祀られています。毎年春の寝太郎まつりでは、稲荷木像を載せた舟形の山車がまちをにぎやかに練り歩きます。
一度は失われながら引き揚げられた皇后岩や、まつりなどを通して親しまれている寝太郎。厚狭では、江戸時代の絵図に描かれた歴史や伝説が、今も暮らしの身近にあり続けています。