
「矢嶋邸写真」(部分)(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。手前は塩田。その向こうに矢嶋邸の白壁や門が見える
「覧海軒図」(山口県立山口博物館蔵)。宮洲屋(磯部家)の別邸「覧海軒」が描かれた江戸時代の絵図。二階から海や塩田を眺める人々や、塩田で塩づくりに従事する人々などが克明に描かれている
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「覧海軒図」(山口県立山口博物館蔵)。宮洲屋(磯部家)の別邸「覧海軒」が描かれた江戸時代の絵図。二階から海や塩田を眺める人々や、塩田で塩づくりに従事する人々などが克明に描かれている
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国指定重要文化財「三角縁盤龍鏡」(東京国立博物館蔵)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp/)。宮洲屋が享和2(1802)年、宮ノ洲山近くの松林を開作中、宮ノ洲古墳を発見。石室から三角縁盤龍鏡など中国製3面・日本製1面の青銅鏡などが出土した。一帯が工場用地となり、古墳は昭和27(1952)年、消滅した。古墳の被葬者は、貴重な中国製鏡を3面も持っていたことから、瀬戸内海の海上交通に深く関わり、畿内の勢力と密接な関係を持った豪族と考えられている
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国指定重要文化財「三角縁盤龍鏡」(東京国立博物館蔵)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp/)。宮洲屋が享和2(1802)年、宮ノ洲山近くの松林を開作中、宮ノ洲古墳を発見。石室から三角縁盤龍鏡など中国製3面・日本製1面の青銅鏡などが出土した。一帯が工場用地となり、古墳は昭和27(1952)年、消滅した。古墳の被葬者は、貴重な中国製鏡を3面も持っていたことから、瀬戸内海の海上交通に深く関わり、畿内の勢力と密接な関係を持った豪族と考えられている
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「矢嶋邸水彩画 矢嶋邸の門」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。専平が屋敷地を手放すに当たり、専平から依頼された画家・小林重三(こばやし しげかず)が大正12(1923)年ごろ描いたもの。なお、矢嶋邸は現存しない。現在は東洋鋼鈑株式会社下松事業所の敷地内、大谷川と県道笠戸島公園線に挟まれた一画。老松が往時をしのばせる
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「矢嶋邸水彩画 矢嶋邸の門」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。専平が屋敷地を手放すに当たり、専平から依頼された画家・小林重三(こばやし しげかず)が大正12(1923)年ごろ描いたもの。なお、矢嶋邸は現存しない。現在は東洋鋼鈑株式会社下松事業所の敷地内、大谷川と県道笠戸島公園線に挟まれた一画。老松が往時をしのばせる
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「矢嶋邸水彩画 弁財天社」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。邸内には、弁財天社があった。江戸時代の絵図「東西豊井村地下図」(山口県文書館蔵)にも、磯部家の別邸敷地内に弁財天社は描かれている。なお、小林重三は図鑑などに優れた鳥類画などを描いた画家
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「矢嶋邸水彩画 弁財天社」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。邸内には、弁財天社があった。江戸時代の絵図「東西豊井村地下図」(山口県文書館蔵)にも、磯部家の別邸敷地内に弁財天社は描かれている。なお、小林重三は図鑑などに優れた鳥類画などを描いた画家
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「矢嶋邸水彩画 大坂城残石の庭石」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。矢嶋邸内には大坂城築城の残石が二つあった。その一つは専平が昭和5(1930)年、現在の山口県立山口博物館へ寄贈(現在、前庭にある)。残石は大津島(現在の周南市)で切りだされたもので、毛利輝元(もうり てるもと)による豊臣秀吉の大坂城築城時の石と伝えられてきたが、近年、毛利秀就(ひでなり)による徳川氏の大坂城普請時の石と考えられる
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「矢嶋邸水彩画 大坂城残石の庭石」(下松市郷土資料展示収蔵施設「島の学び舎」蔵)。矢嶋邸内には大坂城築城の残石が二つあった。その一つは専平が昭和5(1930)年、現在の山口県立山口博物館へ寄贈(現在、前庭にある)。残石は大津島(現在の周南市)で切りだされたもので、毛利輝元(もうり てるもと)による豊臣秀吉の大坂城築城時の石と伝えられてきたが、毛利秀就(ひでなり)による徳川氏の大坂城普請時の石と考えられる
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宮ノ洲の塩田を描いた江戸時代の絵図や、矢嶋邸を写した古写真など、貴重な史料をインターネット上で閲覧できます。また、かつての矢嶋邸(現存しない)を大正12(1923)年ごろに描いた貴重な水彩画なども先日新たに追加されました。