三代歌川広重(うたがわ ひろしげ)画「東京名所 常盤橋内紙幣寮新建之図」(国立印刷局 お札と切手の博物館所蔵)。明治9(1876)年、東京大手町に完成した赤レンガ造りの紙幣寮製造工場「朝陽閣」
ドイツ製の日本のお札「新紙幣(ゲルマン紙幣)10円」(国立印刷局 お札と切手の博物館所蔵)。明治5(1872)年発行。日本初の近代的な印刷で製造されたお札で、作郎はドイツでゲルマン紙幣製造の監督実務に当たった
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ドイツ製の日本のお札「新紙幣(ゲルマン紙幣)10円」(国立印刷局 お札と切手の博物館所蔵)。明治5(1872)年発行。日本初の近代的な印刷で製造されたお札で、作郎はドイツでゲルマン紙幣製造の監督実務に当たった
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日本初の肖像入りのお札「改造紙幣(神功皇后札)1円」(国立印刷局 お札と切手の博物館所蔵)。ゲルマン紙幣に替わって製造され、明治14(1881)年発行。デザインと原版彫刻は御雇外国人キヨッソーネ。なお、キヨッソーネは萩藩主・毛利敬親(もうり たかちか)の肖像画も制作している
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日本初の肖像入りのお札「改造紙幣(神功皇后札)1円」(国立印刷局 お札と切手の博物館所蔵)。ゲルマン紙幣に替わって製造され、明治14(1881)年発行。デザインと原版彫刻は御雇外国人キヨッソーネ。なお、キヨッソーネは萩藩主・毛利敬親(もうり たかちか)の肖像画も制作している
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「大正6(1917)年下松宮ノ洲写真」(部分)(個人蔵)。笠戸島本浦(写真手前)から現在は笠戸大橋がかかる海峡を撮影した写真。海を隔てた中央右手の小高い山は本土の桂木山。山麓の右は宮の洲といい、かつて塩田が広がっていた。山の左側に伸びた砂洲の先端付近には、作郎が明治26(1893)年に建てた巨大な石造りの灯明台があった。なお、拡大写真は一部。船の左後方に灯明台が白く写っている
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「大正6(1917)年下松宮ノ洲写真」(部分)(個人蔵)。笠戸島本浦(写真手前)から現在は笠戸大橋がかかる海峡を撮影した写真。海を隔てた中央右手の小高い山は本土の桂木山。山麓の右は宮の洲といい、かつて塩田が広がっていた。山の左側に伸びた砂洲の先端付近には、作郎が明治26(1893)年に建てた巨大な石造りの灯明台があった。なお、拡大写真は一部。船の左後方に灯明台が白く写っている
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現在の灯明台(下松市提供)。作郎が建てた灯明台は現在、県道山口・下松線(旧国道188号)沿いの市衛生センター入口付近に移築されている。高さ約5メートル。現在は台上の火袋などは失われている。作郎は笠戸湾に出入りする船舶の航路標識、海上安全のため、私財で灯明台を建設した
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現在の灯明台(下松市提供)。作郎が建てた灯明台は現在、県道山口・下松線(旧国道188号)沿いの市衛生センター入口付近に移築されている。高さ約5メートル。現在は台上の火袋などは失われている。作郎は笠戸湾に出入りする船舶の航路標識、海上安全のため、私財で灯明台を建設した
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渋沢栄一と矢嶋作郎。二人の生き方を資料に基づいて紹介するとともに、実業界から引退した矢嶋作郎が下松で地方の文化の発展に貢献したことを、パネルと関連図書の展示を通して紹介します。
開催期間:11月26日(金曜日)から12月22日(水曜日)まで
明治4(1871)年に岩国英語語学所として開校した校舎を使用した展示施設。藤岡市助記念コーナーでは、市助の関連資料を多数展示しています。