宇部市編 おいでませ吉部「竿まんじゅう(薙刀餅)」
山口県の各地域の新しい食、気になる食をレポート!! 第14回は宇部市編です。今回紹介するのは、吉部地域の皆さんが運営する朝市・食堂「おいでませ吉部」で作られている郷土菓子「竿まんじゅう」。江戸時代には、街道の茶店の名物だったそうです。しかも、ある戦国武将にちなむ由来が伝えられていて、別名「薙刀餅(なぎなたもち)」。なぎなたのように細長いお餅に赤と緑の“刀文(はもん)”があり、一度見たら忘れられない、印象的なお菓子です。その刀文はどうやって作られているのか、どんな味なのか、気になる竿まんじゅうについて知りたくて、月1回の製造・販売日に、おいでませ吉部へ行ってきます!!
おいでませ吉部。旧JA山口宇部吉部支店の店舗内にあります
竿まんじゅうの販売日には、そののぼりも立てられます!!
竿まんじゅう。古くからの歴史があるお菓子だそうですね。
これが、うわさの竿まんじゅう!!
赤と緑の刀文が印象的! 中にあんこが入っています
はい。私たちは歴史にあまり詳しくないので、由来については、このしおりをどうぞ!!
読んでみますね。「吉部地方を領していた内藤隆春(ないとう たかはる)
(※1)の家臣になぎなた作りの名人がおり、戦の時に名人の作ったなぎなたで敵を打ち払って勝利を得た。そこで里人がなぎなた状の餅を作り、餅に赤い血のついた模様を付けて勇士の労をねぎらったのが竿まんじゅうの始まりという」…。この由来、とても興味深いですね!!
吉部は江戸時代、船木(宇部市楠地域)と萩を結んだ街道沿いにあり、竿まんじゅうは茶店の名物だったそうです。吉部八幡宮の秋祭り(現在は毎年11月3日に開催)にも欠かせないお菓子で、それを楽しみに市内外から来られる方も多く、その日、私たちは早いときには3時から昼まで作り続けて体はクタクタ(笑)。当日は境内で販売しています。かつては家庭でも作っていて、私も義母から教わり、手探りで作ったことがあるんですが、そのときは上手に作れませんでした。家庭によっては、刀文は筆で描いていたそうですよ。
秋祭りに欠かせないお菓子。いいですね!! どんな材料で作るお菓子なんですか?
もともとは、うるち米の粉100パーセントで作られていたお菓子ですが、それだと朝作っても夕方には硬くなってしまうので、私たちはちょっと変えています。実は、以前は大棚(吉部地域)の生活改善実行グループの皆さんが、お年寄りから習って、伝統を受け継いで長年やっておられたんです。でも、高齢化でやめられることになって…。それを聞き、平成20(2008)年に私たちがおいでませ吉部を始めるに当たって、その方たちに習いに行き、ここで作るようにしたんです。そのとき、竿まんじゅうの柔らかさをなんとか夕方まで保てるようにしたいと思い、料亭やお菓子屋さんなどに相談し、わらび粉やトレハロース(甘味料)などを少し加えて作ることにしたんです。
おいでませ吉部の皆さん
朝市は6時から。10時から食堂もオープン!!
そうだったんですね!! その竿まんじゅう。どうやって作るのか、教えてください。
まず、米粉(うるち米ヒノヒカリ)に、少しでも柔らかさを保つため、わらび粉・トレハロース・グラニュー糖を混ぜ合わせ、湯でこねてから蒸し、餅つき機でつきます。ついたお餅のうち、少量を取り分けて赤と緑の色素を加えて丸めておきます。
餅をどれぐらいまでつくかは勘と経験で判断!!
このお餅が刀文になります
次にお餅を太い棒状にし、その上に、ひものように細長くした赤と緑の餅を載せます。
最初はこれくらいの長さ
赤と緑のお餅を載せます。これが刀文に…
それを手のひらで転がしながら延ばします。次に赤と緑の餅に両手の人差し指を直角に当て、右手の指は向こうへ押し出し、左手の指は手前へ…。それを繰り返し、刀文を作っていきます。
いよいよ刀文作り!! これは見入ってしまいます
すぐそばに長さの目印を入れた「竿」が置かれています
なるほど!! あの刀文はこうやって作られていたんですね!
次は、それを濡らした長い布の上に置いてひっくり返し、布の幅いっぱいに、指と麺棒を使って延ばしていきます。これが、なかなか力がいるんです。
丁寧に、丁寧に、指で。うーん、大変そう…
布の幅いっぱいに広げて…
次は、あんこを細長く載せます。その後、布を利用して形を整えます。
あんこを載せていきます
形を整えた後、裏返しに
そして裏返し、布をゆっくりはがしていくと…、あっ、まさに、なぎなたですね!!
きれいな刀文が現れました!!
この長さ、この美しさ。本当にお見事!!
これを長さ9センチメートルごとに切り、最後に片栗粉をはけで軽く付けたら完成です。
完成です!! 拍手
作りたての、なんと柔らかいこと!!
(拍手)本当にきれい!! 誰が考案したのか、よく考えられていて、本当に見事ですね!!
ありがとうございます!! お言葉に甘えて、じゃ、いただきます…。あっ、モチモチしていて本当に柔らかいですね!! しっとりしていて、口当たりは優しく、なめらかで、甘さは控え目。ああ、とってもおいしいです!! 実はこの竿まんじゅう、数年前に知って以来、ずっと食べてみたかったんです。念願がかなって、とってもうれしいです!! 作るところも見せてくださって、本当にありがとうございました!!
城跡がある荒滝山。内藤隆春の居城があったと伝えられている
もう一つの吉部名物「米まんじゅう 吉部の里」
【取材を終えて…】
竿まんじゅうの製造・販売は、月1回。早朝から取材させていただいたんですが、見ていて本当に面白かったです。手間のかかるお菓子で、きれいに仕上げるための工夫が随所にありました。でも「満足いくものができたことは、一度もないんですよ」と、竿まんじゅう作りのリーダー・石田圭子(いしだ けいこ)さん。その言葉が、竿まんじゅう作りの難しさを教えてくれます。材料を工夫したことで、今では夕方まで柔らかさが保てますが「時間が経つにつれ、どんどん硬くなっていくので、今日中に食べてくださいね」とのこと。実際、できたてのあの柔らかさは、購入後、数時間かけて帰宅して食べたときには変わっていました。やはり、できるだけ早いうちにいただくのが一番!! あのおいしさ、ぜひ味わっていただきたいです。ところで、おいでませ吉部には、米・食味分析鑑定コンクールで特別優秀賞を受賞した吉部米の米粉を用いた、もう一つの名物があります。おいでませ吉部の皆さんが開発した「米まんじゅう 吉部の里」。材料の米粉の作り方にこだわり、洗米して、天日干しで乾燥させた後、製粉。天日干しをするからこそ、米粉を均等に細かくすることができ、さらにかるかん粉
(※2)も加えることで、ふんわりふわふわ、しっとりしたおまんじゅうができるのだそうです。竿まんじゅうの米粉も、同じ米粉を使用。おいしさに納得です。さて、竿まんじゅうの販売日は毎月第1日曜日。米まんじゅう 吉部の里の販売日は、毎月第2水曜日。皆さんも江戸時代の街道を旅する気分で、ぜひおいでませ吉部へ!!
- 戦国時代、大内(おおうち)氏の家臣だったが、後に毛利(もうり)氏に仕えた。江戸時代後期の『防長風土注進案』には、荒滝之城(荒滝山城)は内藤隆春の居城として記されている。
- 米を原料として製粉加工されたもの。粒子は粗い。