神社創建のころから大正時代にかけて防長ゆかりの人々から献納されたものは、現在も境内の随所で出合えます。例えば「吉敷郡南部十七ヶ村」「佐波郡有志」と刻まれた灯籠。高杉晋作(たかすぎ しんさく)らを支援したことで知られる小郡の大庄屋・林勇蔵(はやし ゆうぞう)が献納した灯籠もあります。
大正5(1916)年建立の二ノ鳥居
(※8)には、松下村塾出身で内閣総理大臣を2度務めた山縣有朋(やまがた ありとも)や、明治天皇に信任された杉孫七郎(すぎ まごしちろう)
(※9)、寺内正毅(てらうち まさたけ)
(※10)ら、そうそうたる人物の名が刻まれています。そのそばには、迫力ある見事な萩型狛犬
(※11)があり、それは萩の石工・山中武資(やまなか たけすけ)によるもの。武資は山口県初の石造洋風隧道(ずいどう)「鹿背(かせ)隧道
(※12)」工事を石工棟梁として指揮した人物としても知られます。
拝殿や本殿がある地への石段を上り、門をくぐった内側には、幕末、岩倉具視(いわくら ともみ)を警衛した剣豪で、初代山口県知事を務めた原保太郎(はら やすたろう)
(※13)の名が刻まれた灯籠
(※14)。本殿を守るように位置する回廊の前には、毛利一族からの灯籠
(※15)。そして境内を包み込む深い緑は、旧岩国藩主・吉川(きっかわ)家ゆかりの「義済堂(ぎせいどう)
(※16)」をはじめ、防長の人々から献納されたヒノキやモミノキなどが今や老樹となったものです。