クネンボはインドシナ原産とされ、温州(うんしゅう)ミカンの花粉親(かふんおや)
(※6)となった柑きつです
(※7)。温州ミカンと比べて一回り大きく、種子も多く、酸味が強く、味は濃厚。厚い果皮に独特の臭いがかすかにあるのが特徴です。
萩藩が天保12(1841)年以降、各村にさまざまな情報を提出させたものからなる地誌『防長風土注進案』によれば、クネンボは特に三田尻宰判(現在の防府市一帯)で盛んに栽培されていました
(※8)。「明治七年府県物産表」によれば、クネンボは当時、国内全体の柑きつ類の生産額の中で3番目に位置しています。しかもクネンボの生産額は、なんと山口県がトップ。全国の生産額の半分近くを占めたほどでした
(※9)。しかし明治11(1878)年ごろから萩地域では夏ミカン
(※10)、明治中頃からは大島地域など県内各地でクネンボより甘い温州ミカンの栽培が広まり
(※11)、次第に姿を消していくことになりました。
そうした中、平成29(2017)年、当時山口大学の五島淑子(ごとう よしこ)教授がキング提督への饗応料理の再現に関わったのを機にクネンボを探し始めました。山口県の柑きつ振興センター
(※12)に相談したところ、県内では1980年代以降確認されていないこと、国の研究機関(農研機構)で品種として保存されていることが判明。さらに福岡県の宗像(むなかた)大社では祭祀(さいし)用に栽培され続けていることも分かりました。
そのことは松陰神社宝物殿至誠館の樋口尚樹(ひぐち なおき)館長や、植栽を長年願っていた松陰神社の上田俊成(うえだ とししげ)名誉宮司に伝わり、昨春、宗像大社から穂木
(※13)を分けていただけることになりました。その穂木を松陰神社では樹木医の草野隆司(くさの たかし)さんに接木(つぎき)して育ててもらい、今年3月、松下村塾のそばへ待望の植栽となったのでした
(※14)。
山口県を代表するほど親しまれながら、忘れられ、そしてよみがえったクネンボ。5月ごろには白い花を咲かせ、無事に育てばやがて冬には実を結びます。これからも末永く、山口県の地で愛され続けますように
(※15)。