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「有職雛」(毛利博物館蔵)の写真

「有職雛」(毛利博物館蔵)。(左)御所に見立てた御殿の中に、内裏雛(だいりびな)とその左右に男太刀持・女太刀持。(右)御殿の階段下には、「参内(さんだい)」と名付けられた立ち姿の雛人形の左右に、公家・官女(かんにょ)の雛人形が並ぶ。江戸時代、七沢屋仙助の作

萩藩主毛利敬親の正室・都美姫の有職雛

毛利博物館蔵のお雛さまの中に幕末の萩藩主毛利敬親の正室だった都美姫の豪華な有職雛があります。作者は精巧な作りで評判だった江戸の「七沢屋」。雛人形を通じて見えてくる歴史や都美姫をとりまく人々の思いを紹介します。
毛利家伝来の美術品などを収蔵・展示する防府市多々良(たたら)の「毛利(もうり)博物館」。4月9日(日曜日)まで開催中の企画展「うつくしいもの -毛利家のお雛さま-」では、江戸時代の豪華な有職雛(ゆうそくびな)を見ることができます。有職雛とは、一般的に、有職故実(ゆうそくこじつ)(※1)に従って、公家の装束を正しくこしらえた雛人形のこと。展示中の有職雛は、幕末の13代藩主・毛利敬親(たかちか)の正室・都美姫(とみひめ)のものです。
その有職雛は御所に見立てた御殿の中央に天皇・皇后になぞらえた内裏雛(だいりびな)を据え、さまざまな雛人形や雛道具を備えた、大名家の威信を賭けた実に豪華なものです。御殿の下には天皇・皇后に仕える人々を模した雛人形。中でも興味深いのは、五人囃子ではなく、宮中の雅楽を奏でる楽人たちが並んでいることです。その口元や頬の膨らみは楽器に合わせてか微妙に異なり、丁寧な作りに見入ってしまいます。

壺中の天地!! 精巧さで名をはせた江戸「七沢屋」の雛人形・雛道具

都美姫の有職雛のもの、と考えられている雛道具は、雛段だけでなく、別の展示ケースにもずらりと並べられています。小さな道具箱や食器、楽器、化粧道具の剃刀(かみそり)、櫛(くし)…。その数は細かく数えると400点を超えるといいます。中には室内遊戯の雛道具もあり、「王将」「歩」などの名が爪よりも小さな駒に記された将棋用品一式。ゴマ粒を思わせるほど極小の碁石と、碁盤。一から六まで目がきちんと施されたわずか数ミリのさいころと、双六(すごろく)盤。ミニチュアの雛道具の精巧さに釘付けとなります。
この手の込んだ有職雛や雛道具の作者は、七沢屋仙助(ななさわや せんすけ)。江戸時代、精巧な細工で評判だった江戸・上野池之端仲町(現在の東京都台東区)の人形店でした。明治28(1895)年出版の『徳川太平記(※2)』には、文政・天保のころとして「七澤屋といひて玩物の精巧(たくみ)なるを造り 諸大名の奥方へのみ売込しものありし」と記されています。七沢屋は雛人形の他、まるで芥子粒(けしつぶ)のように小さな「芥子人形」でも有名だった店(※3)。江戸時代末期の記録には、七沢屋の芥子人形の「世帯道具」は「実に壺中(こちゅう)の天地(※4)ともいふべし、其値は実に世帯をもつより貴しといふ(※5)」とあります。しかし天保12(1841)年、幕府の倹約令(天保の改革)によって豪華な雛人形は禁じられ、七沢屋は罪に問われることを恐れ、木綿を売る店に転じたといいます(※6)
そんな七沢屋による豪華な有職雛の持ち主・都美姫とは、どんな姫だったのでしょう。都美姫はもともと、毛利家の生まれ(※7)。後に夫となる敬親は、誕生時には藩主の座は遠く、敬親の父斉元(なりもと)は家督を受け伝える家系ではありませんでした。しかし10代藩主(※8)が隠居し、敬親の父斉元が11代藩主に。その斉元が天保7(1836)年9月に死去し、10代藩主の子・斉広(なりとう)が12月に12代藩主となりますが、わずか20日ばかり後に死去。まだ23歳の若さでした。
その12代藩主斉広のただ一人の忘れ形見が、幼かった都美姫。将来その都美姫とめあわせるということで、敬親が翌年、斉広の養嗣子として19歳で13代藩主の座に就きます。都美姫は当時5歳。江戸の藩邸で生まれ、祖母に当たる10代藩主の正室・法鏡院(ほうきょういん)によって養育されました。法鏡院にとっては自身の血を引く孫娘ではなかったものの、若くして逝った12代藩主の唯一の遺児はどんなにか愛おしかったことでしょう。
七沢屋の豪華で精巧な有職雛や雛道具。遊びながら宮中のことを学んだ都美姫の幼い姿や、どうぞ無事育ってくれますようにと願った祖母らにも思いをはせさせてくれます。
「有職雛」(毛利博物館蔵)の参内や楽人たちの写真
「有職雛」(毛利博物館蔵)の参内や楽人たちの写真

「有職雛」(毛利博物館蔵)の参内や楽人たち。人形たちの表情はどこかにこやかで、それぞれに異なる。参内の雛人形の下段には、雅楽を奏でる楽人たちの雛人形
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「有職雛」(毛利博物館蔵)の参内や楽人たち。人形たちの表情はどこかにこやかで、それぞれに異なる。参内の雛人形の下段には、雅楽を奏でる楽人たちの雛人形
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「黒塗菊菱唐竹文(きくびし からたけもん)蒔絵雛道具」の楽器類(毛利博物館蔵)の写真
「黒塗菊菱唐竹文(きくびし からたけもん)蒔絵雛道具」の楽器類(毛利博物館蔵)の写真

「黒塗菊菱唐竹文(きくびし からたけもん)蒔絵雛道具」の楽器類(毛利博物館蔵)。雅楽の「篳篥(ひちりき)」(右下)や17本の管から成る「笙(しょう)」(画面中央)の他、琴、三味線、胡弓などもある。琴の弦を支える琴柱のあまりの小ささには驚かされる
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「黒塗菊菱唐竹文(きくびし からたけもん)蒔絵雛道具」の楽器類(毛利博物館蔵)。雅楽の「篳篥(ひちりき)」(右下)や17本の管から成る「笙(しょう)」(画面中央)の他、琴、三味線、胡弓などもある。琴の弦を支える琴柱のあまりの小ささには驚かされる
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の書棚・黒棚・厨子棚の三棚や、道具箱など(毛利博物館蔵)の写真
「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の書棚・黒棚・厨子棚の三棚や、道具箱など(毛利博物館蔵)の写真

「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の書棚・黒棚・厨子棚の三棚や、道具箱など(毛利博物館蔵)。黒漆の地に蒔絵で菱形の菊花と唐竹文様を描いた意匠で統一されている
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の書棚・黒棚・厨子棚の三棚や、道具箱など(毛利博物館蔵)。黒漆の地に蒔絵で菱形の菊花と唐竹文様を描いた意匠で統一されている
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の室内遊具類(毛利博物館蔵)の写真
「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の室内遊具類(毛利博物館蔵)の写真

「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の室内遊具類(毛利博物館蔵)。左から双六盤、将棋盤、碁盤の三面。双六盤の上には極小のサイコロが2つ。碁盤の両脇には、ゴマ粒ほどの碁石を入れた容器「碁笥(ごけ)」。いずれも精巧なつくりに目をみはる
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の室内遊具類(毛利博物館蔵)。左から双六盤、将棋盤、碁盤の三面。双六盤の上には極小のサイコロが2つ。碁盤の両脇には、ゴマ粒ほどの碁石を入れた容器「碁笥(ごけ)」。いずれも精巧なつくりに目をみはる
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の櫛台・化粧道具(毛利博物館蔵)の写真
「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の櫛台・化粧道具(毛利博物館蔵)の写真

「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の櫛台・化粧道具(毛利博物館蔵)。剃刀、櫛、はさみなど。極小の櫛も、よく見ると細かい歯のもの、荒めの歯のものなど、異なる種類のものが作られている
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「黒塗菊菱唐竹文蒔絵雛道具」の櫛台・化粧道具(毛利博物館蔵)。剃刀、櫛、はさみなど。極小の櫛も、よく見ると細かい歯のもの、荒めの歯のものなど、異なる種類のものが作られている
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「黒塗唐草沢瀉文(からくさ おもだかもん)蒔絵雛道具」(毛利博物館蔵)の写真
「黒塗唐草沢瀉文(からくさ おもだかもん)蒔絵雛道具」(毛利博物館蔵)の写真

「黒塗唐草沢瀉文(からくさ おもだかもん)蒔絵雛道具」(毛利博物館蔵)。毛利家の家紋「沢瀉」が施された雛道具で、菊菱唐竹文の雛道具より一際大きなもの。納箱に「梅印」とあることから、明治維新後に「梅御殿様」と称された都美姫の雛道具と考えられている。雛道具は武家の婚礼道具の雛型としての意味もあったという
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「黒塗唐草沢瀉文(からくさ おもだかもん)蒔絵雛道具」(毛利博物館蔵)。毛利家の家紋「沢瀉」が施された雛道具で、菊菱唐竹文の雛道具より一際大きなもの。納箱に「梅印」とあることから、明治維新後に「梅御殿様」と称された都美姫の雛道具と考えられている。雛道具は武家の婚礼道具の雛型としての意味もあったという
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  1. 公家や武家の儀礼・官職・制度・服飾などの先例・典故。本文※1へ戻る
  2. 小宮山綏介(こみやま やすすけ)『徳川太平記』第9-12編 1895。著者は幕末の水戸藩士で明治時代の歴史学者。同書は徳川氏の記録の中から選んでまとめたもの。本文※2へ戻る
  3. 西沢笛畝『人形』1956。本文※3へ戻る
  4. 俗世界とはかけ離れた別世界のこと。本文※4へ戻る
  5. 「わすれのこり 下」『続燕石十種(えんせきじっしゅ)』第1 1908。燕石十種は江戸時代末期の叢書(そうしょ)で、当時の風俗・出来事などを集大成したもの。写本で伝えられ、明治時代に国書刊行会が刊行。本文※5へ戻る
  6. 前掲※2。同書には、倹約令によって人形類の8寸(約24センチメートル)以上は禁じられ、雛の調度は梨子地(なしじ)・蒔絵(まきえ)とも家紋に限られたとある。本文※6へ戻る
  7. 天保4(1833)年生まれ。母は幕府旗本・本多氏の娘で、斉広の側室。本文※7へ戻る
  8. 斉煕(なりひろ)。12代藩主・斉広は、10代藩主・斉煕の子。本文※8へ戻る

毛利博物館 企画展「うつくしいもの -毛利家のお雛さま-」

豪華な江戸時代の「有職雛」の段飾りをはじめ、毛利家伝来の雛道具、姫君ゆかりの華麗な品々など、毛利家の女性たちを魅了した“うつくしいもの”を多数展示しています。
開催期間 4月9日(日曜日)まで

参考文献