トップページ > 2022年8月26日 やまぐち住んで民?
やまぐち住んで民?

移住経験者に聞きました

移住された方に、移住のきっかけや、やまぐち暮らしの良さを語っていただくコーナーです。
今回は、周防大島町に移住(Iターン)された、民宿 石鍋亭 宮地直人(みやじ なおと)さん・佳世(かよ)さんご夫妻に、移住前の暮らしぶりや移住を決めた理由などについて伺いました。

―周防大島町の方は、移住者に対してすごくオープンで優しいんです―
周防大島町|宮地直人さん・佳世さんご夫妻 前編

取材を受ける宮地直人さん・宮地佳世さんの写真

Iターンされるまでの経緯を教えてください。

直人さん)僕は愛媛県出身です。大阪で製薬会社に就職し、転勤で西日本のあちこちを転々としていました。元々釣りが好きで、島暮らしには興味がありました。

佳世さん)夫とは大阪で出会いましたが、結婚当初から、「仕事を辞めて島で暮らしたい」とよく話していましたね。

直人さん)移住を本格的に考え出したのは、会社の「セカンドライフを考えるセミナー」に参加した50歳になった時でした。50歳は、責任が重くなる一方で、若い人に仕事を引き継いだり、前線から退き始める頃。セミナーは、立場や仕事上の関係を超えた一人の人間として、この先の自分の人生について考えてみよう、というものでした。その中で、僕は「瀬戸内海の島に家を買って、釣りをしながら楽しく過ごしたい」と、今後の目標を発表しました。具体的に自分で口にすることで、「そうか、自分はこれがやりたいんだ」と改めて自覚したんです。
ちょうどその年、周防大島町の移住ツアーに参加したことや、会社に早期退職制度が導入されたことも重なって、翌年には退職し、移住に向けて動き出しました。

佳世さん)移住を決めた年は岡山県に住んでいたんですが、下の息子が高校3年生でした。息子の卒業までは留まる必要があったので、先に夫だけ周防大島町に移住して準備を進め、次の年の春に遅れて私が引っ越してきました。今は、子供たちも社会人になり、夫婦で島暮らしを満喫しています。
取材を受ける宮地直人さんの写真

移住先を周防大島町に決めたのはなぜでしょうか?

直人さん)前々から、旅行半分であちこちの移住ツアーに参加していたんです。周防大島町の移住ツアーもその一つ。ネットで見つけて、申し込みました。周防大島町は、キャンプや釣りで時々来ることもあったので、全く知らない土地ではなかったんです。
町役場主催の移住ツアーは、買い物など生活に必要な所、空き家などを見て回ったり、暮らしていく上で大変なこと、不便なところも教えてくれました。現実的で、暮らしのイメージがつきやすいツアーでしたね。そういうところも含めて、「良いところだね。ここに住もうか」と妻と話し、その日のうちに、町役場の方に空き家物件を探してもらうようお願いしました。
その半年後に紹介してもらったのが今の「石鍋亭」です。初めて視察に来た時、ここから見た夕日がとても綺麗で、「ああ、自分はここで死ぬんだな」と漠然と思ったことを覚えています。すぐに購入を決めました。
移民の歴史があるからか、周防大島町の方は、移住者に対してすごくオープンで優しいんです。先に1人で移住してきた時、僕は島中のあちこちに顔を出しては友達づくりに励みました。すぐに仲良くしてもらい、家のリフォームや食材の仕入れなども地元の方にお願いできるようになりました。地元の方々に受け入れていただいたのも、周防大島町に移住して良かったなと思うところです。

後編では、移住先の魅力などについて伺います。(9月22日(木曜日)に配信予定)

※「山口県YY!ターン(UJIターン)・移住支援サイト住んでみぃね! ぶちええ山口」から転載しています。

宮地直人さん・宮地佳世さんのプロフィール写真

宮地直人さん・宮地佳世さん

みやじ・なおと/みやじ・かよ/周防大島町在住 民宿 石鍋亭
夫の直人さんは愛媛県、妻の佳世さんは大阪府出身。直人さんが大阪の製薬会社に勤めていた50歳の時、会社で開催された「セカンドライフを考えるセミナー」をきっかけに移住を考え始める。
2015年に周防大島町に移住。民宿「石鍋亭」を開業し、1日1組限定のお客さまを夫婦2人でもてなしている。