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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。国指定史跡「萩城城下町」一帯が描かれた絵図。幕末の安政5(1858)年作。画面を左右に貫く道が「御成道」。右端で上方に分かれる道は菊屋横町。四つ辻で上方向へ分かれる道は伊勢屋横町。三つ辻で分かれる道は江戸屋横町。なお、菊屋横町には高杉晋作(たかすぎ しんさく)誕生地、江戸屋横町には木戸孝允(きど たかよし)旧宅がある

「鸞輿巡幸図(らんよじゅんこうず)」の絵解きで楽しむ萩の祭りと城下町

祭礼で華やぐ毛利氏の城下町・萩を描いた江戸時代の絵図があります。その絵図を読み解くと興味深い情報が浮かび上がってきます。町歩きにも活用できるその絵図を通して、城下町・萩を紹介します。
萩博物館に、祭礼行列で華やぐ萩のまちが描かれた江戸時代の絵図「鸞輿巡幸図(らんよじゅんこうず)」が所蔵されています。作者の名は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した絵師・大庭学僊(おおば がくせん)(※1)。描かれているのは、いわゆる御成道(おなりみち)(※2)沿いに大きな商家が立ち並んでいた呉服町などの一帯です。そこは現在、国の重要文化財に指定されている「菊屋家(きくやけ)住宅」をはじめ、往時の佇まいが豊かに残り、「萩城城下町」として国の史跡に指定されているエリアに当たります。
実はこの絵図、誰が学僊に描かせたのか、誰が所有していたのかという来歴についてはよく分かっていません。しかし、絵図を読み解いていくと、来歴を知る手掛かりが浮かび上がってきます。
この絵図には、祭礼行列だけでなく、人々の何気ない日常風景や商いの様子まで細やかに描かれています。母親に手を引かれて歩く小さな子どもや、獅子頭(ししがしら)に追い掛けられて逃げる子どもたち。頭の上に桶を載せて行商する、カネリ(※3)と呼ばれた女性たちもいれば、てんびん棒を担いで行商する男性の姿もあります。
家々も細密に描かれています。絵図を左右に貫く道は御成道で、その右端、「せうゆ(醤油)」と書かれた看板を掲げている店は「菊屋」。そこから絵図の中央寄りに進んだ四つ辻の角、「ごふくもの」と記された看板を掲げ、のれんに「いせや」と染め抜かれている店は、呉服屋の「伊勢屋」。さらにそこから左へ進んだ三つ辻の角、軒先に酒林(さかばやし)(※4)が吊り下げられている店は、当時は造り酒屋だった「江戸屋」。菊屋も伊勢屋も江戸屋も、江戸時代に栄えた大きな商家で、店の名は「菊屋横町(よこちょう)」「伊勢屋横町」「江戸屋横町」という横町(※5)の名に今も残ります。

発注主は誰? 絵図を読み解いて見えてくるのは…

そうした菊屋横町など、この絵図にある道のいずれにも、祭礼行列は描かれています。鳥居や御神幣(ごしんぺい)(※6)をかたどった巨大な造り物を載せた山車にみこしが続く行列は、「住吉神社」の住吉祭り(※7)。巨大な猿田彦面(さるたひこめん)(※8)の造り物を載せた山車の後に、毛槍(※9)を掲げた槍持ちや牛車などが続くのは、「金谷天満宮」の天神祭り(※10)。他にも、祭礼行列ののぼりには「春日大明神(※11)」「椿八幡宮(※12)」「金毘羅権現(こんぴらごんげん)(※13)」「三宝大荒神」「山王大権現」など、萩にあるさまざまな神社の名が見えます。
そのうち住吉祭りは夏の祭りで、天神祭りは秋の祭り。いずれも江戸時代から続く萩の二大祭りで、現在も夏と秋に行われています。一般的に、異なる神社の祭りが同じ日に同じ地域で執り行われることは、ほぼないといえます。つまり、この絵図は、幾つもの祭礼が一斉に行われるという、架空の状況が描かれているのです。
さらに興味深いことに、どの祭礼行列も、ある特定の商家へ向かっているように見えます。その商家とは、絵図の中央辺りに描かれている「伊勢屋」。しかも城下の産土神(うぶすながみ)(※14)である「春日大明神」のみこしは、今まさに伊勢屋のミセノマ(表通りに面した部屋)へ担ぎ込まれようとしている瞬間で、「山王大権現」のみこしもそれに続こうと待ち構えています。こうして絵図を読み解いて見えてくるのは、この絵図の発注主こそ、伊勢屋では、ということ。萩博物館では、自らの店の繁栄と招福を願い、伊勢屋が絵師に作らせたものでは、と考えています。
来歴不明の「鸞輿巡幸図」。読み解く面白さを教えてくれるとともに、架空のおめでたい日が描き出された絵図を見て楽しんだ、人々の笑顔も伝えてくれます。
「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より頭の上に桶を載せた行商人の女性たちの姿が描かれた四つ辻の写真
「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より頭の上に桶を載せた行商人の女性たちの姿が描かれた四つ辻の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。四つ辻に、頭の上に桶を載せて行商する女性たちの姿が描かれている。母親に手を引かれて歩く子どもの姿も見える。なお、この部分は、御成道と並行する道「相首町(おくびちょう)」の四つ辻近くに描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。四つ辻に、頭の上に桶を載せて行商する女性たちの姿が描かれている。母親に手を引かれて歩く子どもの姿も見える。なお、この部分は、御成道と並行する道「相首町(おくびちょう)」の四つ辻近くに描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より御成道に面した店の一つ「菊屋」の写真
「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より御成道に面した店の一つ「菊屋」の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。御成道に面した店の一つ「菊屋」(現在の国指定重要文化財「菊屋家住宅」)。看板に「せうゆ(しょうゆ)」とある。門は菊屋の中門。2基のみこしが描かれている通りは菊屋横町。絵図の右端に描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。御成道に面した店の一つ「菊屋」(現在の国指定重要文化財「菊屋家住宅」)。看板に「せうゆ(しょうゆ)」とある。門は菊屋の中門。2基のみこしが描かれている通りは菊屋横町。絵図の右端に描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より鳥居や御神幣をかたどった造り物を載せた山車の写真
「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より鳥居や御神幣をかたどった造り物を載せた山車の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。鳥居や御神幣をかたどった造り物を載せた山車が目を引く。行列の先頭を行くのぼりに「住吉大明神」とあり、住吉祭りの行列と分かる。絵図の右、御成道と交差する伊勢屋横町の反対側の道に描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。鳥居や御神幣をかたどった造り物を載せた山車が目を引く。行列の先頭を行くのぼりに「住吉大明神」とあり、住吉祭りの行列と分かる。絵図の右、御成道と交差する伊勢屋横町の反対側の道に描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より天神祭りの祭礼行列の写真
鸞輿巡幸図」(萩博物館蔵)より天神祭りの祭礼行列の写真の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。御成道に面した左端の店が、造り酒屋の「江戸屋」。御成道を、鳥居をかたどった造り物を載せた山車や、猿田彦面の山車、毛槍を掲げた槍持ちなどによる天神祭りの行列が進んでいる。絵図の中央辺りに描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。御成道に面した左端の店が、造り酒屋の「江戸屋」。御成道を、鳥居をかたどった造り物を載せた山車や、猿田彦面の山車、毛槍を掲げた槍持ちなどによる天神祭りの行列が進んでいる。絵図の中央辺りに描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より呉服屋の「伊勢屋」の写真
「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)より呉服屋の「伊勢屋」の写真

「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。呉服屋の「伊勢屋」にみこしが担ぎ込まれようとしている。ミセノマでは裃(かみしも)を着た、店の主人と思われる人物などがこれを迎えている。先のみこしに続こうと待ち構えているみこしもある。他の祭礼行列も伊勢屋に向かっているように見えることから、この絵図の発注者は伊勢屋ではないかと考えられている。絵図の右から4分の1辺りに描かれている
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「鸞輿巡幸図」(部分)(萩博物館蔵)。呉服屋の「伊勢屋」にみこしが担ぎ込まれようとしている。ミセノマでは裃(かみしも)を着た、店の主人と思われる人物などがこれを迎えている。先のみこしに続こうと待ち構えているみこしもある。他の祭礼行列も伊勢屋に向かっているように見えることから、この絵図の発注者は伊勢屋ではないかと考えられている。絵図の右から4分の1辺りに描かれている
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猿田彦面山車と御神幣の山車(萩博物館提供)の写真
猿田彦面山車と御神幣の山車(萩博物館提供)の写真

猿田彦面の山車と御神幣の山車(萩博物館提供)。これらの山車は萩市浜崎地区で大切に守られてきた。現在は山車として巡行することはなく、住吉祭りの期間中、住吉神社の鳥居の傍らに飾られる。普段は浜崎地区の「旧小池家土蔵」に御船山車などと共に収蔵展示されており、事前に「浜崎しっちょる会」に連絡すれば見学できる
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猿田彦面の山車と御神幣の山車(萩博物館提供)。これらの山車は萩市浜崎地区で大切に守られてきた。現在は山車として巡行することはなく、住吉祭りの期間中、住吉神社の鳥居の傍らに飾られる。普段は浜崎地区の「旧小池家土蔵」に御船山車などと共に収蔵展示されており、事前に「浜崎しっちょる会」に連絡すれば見学できる
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  1. 徳山(現在の周南市)出身。徳山藩の絵師・朝倉南稜(あさくら なんりょう)などに師事した後、京都で下関出身の絵師・小田海僊(おだ かいせん)に学び、さらに萩へ転居。明治時代にも活躍した。本文※1へ戻る
  2. 藩主が参勤交代などに利用した道。本文※2へ戻る
  3. 魚を入れた桶を頭の上に載せて売り歩く女性のことを、萩地域などの方言で、カネリと呼んでいた。本文※3へ戻る
  4. 杉の葉を束ねて球状にした、酒屋の看板。新酒ができたことを知らせる。杉玉ともいう。本文※4へ戻る
  5. 表通りから横へ入った通りにある町や町筋のこと。本文※5へ戻る
  6. 竹などの串に白色などの細長い紙をはさんだもので、神に供えたり、神主が祓(はら)いをしたりするときに用いる。本文※6へ戻る
  7. 江戸時代初め、廻船業を営んでいた萩・浜崎の人々が、大坂の住吉神社から分霊を浜崎に迎え、住吉神社を設けて始めた祭り。現在は8月初めに執り行われる。8月3日には、御船と呼ばれる山車が旧城下を巡行し、御船の上で「御船謡(おふなうた)」が演唱される。山口県指定無形民俗文化財。本文※7へ戻る
  8. 『古事記』や『日本書紀』などで国つ神の一つとされる神。ニニギノミコトの道案内をしたとされる。神社の祭礼では、行列の先導をする者で、一般的には、てんぐの面をかぶり、矛を持つ。この絵図にもてんぐと矛の造り物が描かれている。なお、猿田彦面の山車は住吉祭りで用いられ、現存する。本文※8へ戻る
  9. 先端を鳥の羽毛で飾った槍。大名行列などの先頭で槍持ちが振るう。本文※9へ戻る
  10. 享保5(1720)年、萩藩主が社殿を現在地に移したのを機に行われるようになった祭りで、萩の各町内から山車や行列が奉納された。現在も、11月第2日曜日に平安古備組(ひやこそなえぐみ)と古萩町の華やかな奉納大名行列などが市内を練り歩き、多くの人が見物に集まる。本文※10へ戻る
  11. 萩市堀内地区にある神社。本文※11へ戻る
  12. 萩市椿にある神社。本文※12へ戻る
  13. 萩市南古萩町、江戸屋横町を南に下った円政寺(えんせいじ)の境内にある。幼いころの高杉晋作ゆかりの地。絵図では左上、松の木が描かれている部分。本文※13へ戻る
  14. その人が生まれた土地の守護神。この場合、城下の人々の守護神。本文※14へ戻る

萩博物館

萩博物館の歴史展示室(常設)では、グラフィックパネルで「鸞輿巡幸図」を見ることができます。また、その絵図と現在も市内に残る多くの江戸時代の商家の調査成果を基に制作された、町並み模型も見ることができます。

国指定重要文化財 菊屋家住宅

萩藩の御用商人として栄えた菊屋家。美しい庭を擁し、藩の賓客ももてなしました。菊屋家住宅は江戸初期の建築で、主屋・本蔵・金蔵・米蔵・釜場の5棟が国の重要文化財に指定されています。約2,000坪の敷地の約3分の1が通常は公開されており、現在、6月上旬まで(予定)「春の庭園特別公開」として、普段は非公開の美しい新庭が特別に公開されています。

旧小池家土蔵旧山中家住宅旧山村家住宅

萩市浜崎地区は、廻船業で栄えた港町。江戸時代から昭和初期までの町屋など伝統的な建造物が現在も137棟残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。旧小池家土蔵では、祭礼の山車や道具などを収蔵展示。旧山中家住宅や旧山村家住宅では、かつての商いなどの様子が分かる数多くの品を展示。また、5月22日(日曜日)には、浜崎地区の各家に伝わる「おたから」を見ることができる「第23回 浜崎伝建おたから博物館」が開催されます。旧小池家土蔵や国指定史跡「旧萩藩御船倉」の公開をはじめ、伝建ガイドツアー、浜崎蚤(のみ)の市、雑魚場(ざこば)食堂などを楽しめます。

参考文献