トップページ > 2021年12月24日 やまぐち住んで民?
やまぐち住んで民?

移住経験者に聞きました

移住された方に、移住のきっかけや、やまぐち暮らしの良さを語っていただくコーナーです。
今回は、下関市に移住された、合同会社CRAFTSMAN 代表 青山高志(あおやま たかし)さんに、移住前の暮らしぶりや移住を決めた理由などについて伺いました。

―「この街をより豊かな暮らしができる街にする」をコンセプトに掲げて事業を行っています―
下関市|青山高志さん 前編

インタビューを受ける青山高志さんの写真

Iターンされる前は、どちらにいらしたのですか?

出身は神奈川県です。東海大学体育学部スポーツ・レジャーマネジメント学科に進学し、地元の湘南キャンパスでスポーツイベントの企画や経営について学びました。
卒業後は、東京の大手スポーツ用品メーカーに就職。2年目からは名古屋に配属され、アウトドア専門店の営業を担当しました。そして2017年の秋に、5年近く勤めた会社を退職して、下関市に移住してきました。

下関市への移住を決めたのはなぜですか?

友人が創業したカフェ「CRAFTSMAN COFFEE ROASTERS」の経営に正式に参加するためです。
その友人とは大学で出会ってすぐに意気投合し、当時から「いつか一緒に何かしよう!」とよく語り合っていました。卒業後、友人は東京の会社に就職しましたが、実家の事情で下関市にUターン。それがきっかけで、私も下関市に足を運ぶようになりました。しばらくして友人が「CRAFTSMAN COFFEE ROASTERS」の創業を決め、私も会社員をしながらアドバイザーをすることに。お店のコンセプト作りをしたり、ブランディング戦略を練ったり、融資を受けるための資料作りを手伝ったりしました。
大きな転機になったのは、2016年に起きた熊本地震です。出身大学の熊本キャンパスが被災したことをニュースで知り、当たり前の日常が簡単に奪われるという現実に「やりたいことを先延ばしにするのはやめよう!」と強く思いました。それを機に会社を退職して、下関市に移住することを決めました。
「CRAFTSMAN COFFEE ROASTERS」の内観の写真

移住に不安はありませんでしたか?

街の雰囲気も分かっていましたし、すでに知り合いもたくさんいましたから、不安は全くありませんでした。
それよりも、学生時代からの夢が叶うことにとてもワクワクしていました。改めて2017年当時を振り返ってみると、まだ若かったこともあり、情熱と勢いだけで突っ走っていたように思います。
「TAGLINE」の外観の写真

現在の状況はいかがですか?

2018年の秋に、下関市地方卸売市場内に焙煎工場「THE LAB.」、そして2020年の秋に下関市役所横の市民広場にカフェ&レストランバー「TAGLINE」をオープンしました。
さらには、山口県内外各地でブランド普及活動を実施するキッチンカー「THE CUP」のフランチャイズ展開や、土井ヶ浜を一望できる「ZERO CAFE」のプロデュース、年に5本程度の地域イベントの企画・運営など、「この街をより豊かな暮らしができる街にする」をコンセプトに掲げて事業を行っています。
2019年2月には、組織変更に伴い、社名を「合同会社CRAFTSMAN」に改称。しばらくは友人と二人で経営していましたが、2021年春に友人が卒業し、現在は私一人が代表を務めています。友人は、飲食店のプロデュースをメインとする別会社を立ち上げ、全国各地を飛び回っています。
「ZERO CAFE」の外観の写真

後編では、移住先での暮らしなどについて伺います。(1月28日(金曜日)に配信予定)

※「山口県YY!ターン(UJIターン)・移住支援サイト住んでみぃね! ぶちええ山口」から転載しています。

青山高志さんのプロフィール写真

青山高志さん

あおやま・たかし/下関市在住 合同会社CRAFTSMAN 代表

神奈川県横浜市出身。神奈川県の大学を卒業後、大手スポーツ用品メーカーに就職。
2016年、下関市出身の大学時の友人がUターンしてCRAFTSMAN COFFEE ROASTERSを創業するのを機に、アドバイザーとして経営に参加。
2017年に、本格的に経営に加わるために、5年間勤めた会社を退職して下関市に移住。現在は合同会社CRAFTSMAN の代表として、直営店3店舗、フランチャイズ店1店舗、プロデュース店1店舗の運営のほか、年に5件程度、地域イベントの企画・運営を手掛けている。