トップページ > 2021年8月27日 やまぐち住んで民?
やまぐち住んで民?

移住経験者に聞きました

移住された方に、移住のきっかけや、やまぐち暮らしの良さを語っていただくコーナーです。
今回は、田布施町に移住(Uターン)された、株式会社 anerico 代表取締役 上杉朋未(うえすぎ ともみ)さんに、移住される前の暮らしや移住を決めた理由などについて伺いました。

―移住への不安よりも、新しい生活への期待の方が大きかったです―
田布施町|上杉朋未さん 前編

取材を受ける上杉さんの写真

Uターンされる前はどちらにいらしたのですか?

Uターンするまでの15年間、東京でITの仕事をしていました。初めてパソコンに触れたのは小学生のとき。学校のコンピュータークラブに所属して、コンピューターの面白さに目覚めました。もっと専門的な知識と技術を深めたいと考えて、大島商船高等専門学校情報工学科に進学。卒業後、大阪のIT企業にWebエンジニアとして就職しました。
それから1年後に東京へ転勤になり、4年間勤務した後、転職。2社目では、企業が経営資源を一元管理するERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)ソフトの導入やカスタマイズを行うSAPコンサルタントとして、クライアント企業に常駐し、業務の効率化や改善に努めました。
そして29歳のときに、元同僚だった夫と結婚してすぐに1人目を出産。2年後に2人目、3年後に3人目を出産しました。当時は、子どもがまだ小さいのに、家に仕事を持ち帰って深夜まで作業をすることもしばしば。仕事自体は楽しかったのですが、とにかくハードだったので、「仕事と育児を両立させられるのだろうか」と不安を感じていました。そこで、思い切って退職して、ECサイトの構築やWEBシステムの導入支援などを行う会社を2014年に設立しました。

どうしてUターンしようと思われたのですか?

私の実家に帰省したときに、夫が目の前に広がる海を見て突然、「海のそばで暮らしたい」と言い出しました。
私は、「一生東京で暮らしていくのだろう」と思っていたので、最初はビックリしました。でも、夜遅くまで仕事をする毎日だったので、「一度、がらっと環境を変えてのんびり過ごすのも良いのかな」と思いました。
また、自然豊かな場所で暮らした方が、子どもの成長にも良い影響を与えるのではないかと考えて、長男が小学1年生に上がるタイミングの2017年に、田布施町にUターンすることにしました。幸い親戚が以前住んでいた家が空いていたので、そこを改修して住むことにしました。
海の写真

移住に対して何か不安はありませんでしたか?

移住への不安よりも、新しい生活への期待の方が大きかったですね。夫は独身時代、よく一人でキャンプや釣りに出かけるアウトドア派でしたし、私も夫も社交的で人見知りしないタイプなので、田布施町での生活について特に心配することはありませんでした。しかし、都会での暮らしが長かったので、生活リズムが整うまでに少し時間がかかってしまいました。

移住するにあたって活用されたサービスはありますか?

まず、有楽町の東京交通会館内にある「ふるさと回帰支援センター」に行き、山口への移住を支援してくださる「やまぐち暮らし東京支援センター」で夫の仕事を探しました。そこで見つけた柳井市の企業にエントリーしたのですが、なぜかそのとき、私も一緒に面接を受けることになり、業務委託という形で契約していただけることになりました。
最初はその会社に出勤して仕事をしていたのですが、まだ下の子が小さかったので、「在宅勤務にしていただけないか」と社長に相談してみました。でも当時は、今のようにリモートワークが普及していなかったので、自ら勤怠管理やセキュリティなどの仕組みを提案し、社内でも初の試みとなるリモートワークという形態で2018年から働けるようになりました。
現在は、水曜の午前中だけ柳井のオフィスに打ち合わせに行き、あとは自宅でECサイトの構築やメンテナンスを行っています。それ以外にも、Webサイトの制作やシステム構築などの案件にも携わっています。

後編では、移住先での暮らしなどについて伺います。(9月24日(金曜日)に配信予定)

※「山口県YY!ターン(UJIターン)・移住支援サイト住んでみぃね!ぶちええ山口」から転載しています。

上杉朋未さんのプロフィール写真

上杉朋未さん

うえすぎ・ともみ/熊毛郡田布施町在住 株式会社 anerico 代表取締役

山口県熊毛郡田布施町出身。大島商船高等専門学校を卒業後、大阪のIT企業に就職し、1年後に転勤。そこから15年を東京で過ごす。29歳で結婚、32歳のときに株式会社 anericoを設立。2017年に田布施町にUターン。3児の母として子育てに奮闘しながら、仕事にボランティア活動にと精力的に活動している。