トップページ >2021年5月28日 おもしろ山口学
おもしろ山口学ロゴ
(左)岩国市六呂師、梅雨左衛門の伝承がある地域の烏帽子岩と(右)梅雨の雨に濡れるモミジの写真

山あいにある岩国市六呂師、梅雨左衛門の伝承がある地域の写真(金谷匡人氏提供)。約20年前に撮影。道のそばにそびえる大岩(烏帽子岩(えぼしいわ))に梅雨左衛門がすむという伝承がある。辺りには棚田が広がっている

梅雨を操る「梅雨左衛門」

今年は平年より20日も早く梅雨入りした山口県。梅雨入りが遅い年には、先人たちは田植えを行えないことにやきもきし、祭事を行い、雨を願いました。梅雨にまつわる不思議な伝承を紹介します。
江戸時代の岩国(※1)の記録に「梅雨左衛門(つゆざえもん)」なるものがあちこちの村に登場します。六呂師(ろくろし)・祖生(そお)・岸根(がんね)村(いずれも現在の岩国市)。その梅雨左衛門とは、多くは大岩の割れ目などにすむ白い小さな蛇(ヘビ)だといい、岩国藩士がまとめた地誌『玖珂郡志(※2)』には、六呂師村の梅雨左衛門について次のように記されています。
「田のそばに高さ四間(約7メートル)ほどの大岩があり、岩の中に一双の小蛇がいる。形は烏蛇(うじゃ。からすへび)(※3)のようで、頭の部分が白い。毎年入梅(梅雨入り)の日、岩の穴より頭を出し、半夏(はんげ)(※4)の日に初めて穴の中に入る。梅雨左衛門という。この蛇、往古より太らず、年々同じ形である。もし遅く出るときは祭事を行う」。
これによれば、梅雨左衛門は梅雨をもたらす水神としてあがめられていたことが分かります。六呂師村の大岩は実在し、かつて棚田が広がっていた道のそばにそびえ、しめ縄が張られた割れ目から梅雨左衛門は姿を現していたようです。

タブーあり。触らぬ神にたたりなし!?

梅雨左衛門の伝承は岩国だけでなく、八代(やしろ)村(現在の周南市)などにもあるほか(※5)、島根県(※6)や広島県にも類似の伝承があります。八代村の場合、萩藩の地誌『防長風土注進案(※7)』で次のように記されています。
「河原畑という所の路傍に大岩があり、その下に穴があり、往古より毎年五月梅雨に入る日より、毎朝五ツ時(どき)(※8)までに赤色の小さな蛇が頭を出す。その小蛇がいなくなればたちまち梅雨は晴れる。万一、里人が小蛇に触れると梅雨が晴れてしまうため、童(わらべ)であっても触れてはならない。梅雨左衛門というのは、かつて梅雨左衛門という人がいて、死んだ後に亡霊が小蛇に化けたことによるもので、その名を付けたと伝わる」。
このように触ることをタブーとする伝承は、岩国の怪談などを集めた『続・岩邑(がんゆう)怪談録(※9)』の中、六呂師の梅雨左衛門の話にも出てきます。それは次のような内容です。
六呂師村にやってきた牛馬の仲買人が「梅雨左衛門も冷たかろう。温めてしんぜよう」と、煙管(きせる)でチョンと打った。すると梅雨左衛門は、すっと穴へ。その後、仲買人が峠の向こうのわが家への帰り道を進んでいると、頭上を何か鞠(まり)のような黒いものが越していき、家の上にとどまった。それは入道雲で、不思議に思って家へ急ぐと、妻子は(豪雨・洪水で)家と共に流されてしまって跡形もなかった…。なんとも怖い話です(※10)
田のほとり、道のほとりの岩の穴にすむ梅雨左衛門は、さまざまある水神のなかでも、特に命の源ともいえる梅雨時の農業用水と深く関わる、聖なる存在のように思われます。梅雨がなければ田植えはできず、しかし雨が多すぎれば田や稲が流され、甚大な被害に苦しめられます。降っても降らなくても心配な、昔も今も梅雨は人々の祈りを誘う自然現象です。
梅雨をもたらし、ときには梅雨明けを早めてしまったり、豪雨を招いたり、梅雨を操る梅雨左衛門さま。手出しはいたしませんので、梅雨明けまでどうか穏やかに。
六呂師の大岩の写真
六呂師の大岩の写真

六呂師の大岩。しめ縄がある辺りに岩の割れ目がある
Escキーで戻ります。

六呂師の大岩。しめ縄がある辺りに岩の割れ目がある
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

令和元(2019)年7月の六呂師の大岩の上部(金谷匡人氏提供)の写真
令和元(2019)年7月の六呂師の大岩の上部(金谷匡人氏提供)の写真

令和元(2019)年7月の六呂師の大岩の上部(金谷匡人氏提供)。御幣としめ縄が見える。祭事は行われているが、近づくのは困難になっている
Escキーで戻ります。

令和元(2019)年7月の六呂師の大岩の上部(金谷匡人氏提供)。御幣としめ縄が見える。祭事は行われているが、近づくのは困難になっている
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

令和元(2019)年7月の六呂師、大岩周辺の風景の写真
令和元(2019)年7月の六呂師、大岩周辺の風景の写真

令和元(2019)年7月の六呂師、大岩周辺の風景(金谷匡人氏提供)。棚田の耕作は行われなくなっており、中央あたりに大岩があるが、遠くからではやぶに覆われて見えない
※Escキーで戻ります。

令和元(2019)年7月の六呂師、大岩周辺の風景(金谷匡人氏提供)。棚田の耕作は行われなくなっており、中央あたりに大岩があるが、遠くからではやぶに覆われて見えない
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

国の天然記念物「岩国のシロヘビ」の写真
国の天然記念物「岩国のシロヘビ」の写真

国の天然記念物「岩国のシロヘビ」。伝承の梅雨左衛門とは異なるが、岩国には、限られた地域に何世代にもわたって集団で生息する、世界的に貴重なシロヘビが存在し、保護活動が行われている。アオダイショウの突然変異で、長さ180センチメートルにもなる。弁財天の使いともされ、民間信仰の対象
※Escキーで戻ります。

国の天然記念物「岩国のシロヘビ」。伝承の梅雨左衛門とは異なるが、岩国には、限られた地域に何世代にもわたって集団で生息する、世界的に貴重なシロヘビが存在し、保護活動が行われている。アオダイショウの突然変異で、長さ180センチメートルにもなる。弁財天の使いともされ、民間信仰の対象
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「岩国シロヘビの館」の写真
「岩国シロヘビの館」の写真

「岩国シロヘビの館」。岩国のシロヘビの生態展示のほか、映像やゲームなどを通じて、岩国のシロヘビの生態や歴史を学習できる。また、岩国各地の梅雨左衛門について紹介したパネルも展示されている。
※Escキーで戻ります。

「岩国シロヘビの館」。岩国のシロヘビの生態展示のほか、映像やゲームなどを通じて、岩国のシロヘビの生態や歴史を学習できる。また、岩国各地の梅雨左衛門について紹介したパネルも展示されている。
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

「ギンリョウソウ(銀龍草)」(金谷匡人氏提供)の写真
「ギンリョウソウ(銀龍草)」(金谷匡人氏提供)の写真

「ギンリョウソウ(銀龍草)」(金谷匡人氏提供)。日本国語大辞典によれば、異名は「露左衛門(つゆざえもん)」。高さ約10センチメートル。山中の日陰、湿り気のあるところで、堆積した落ち葉などに生える。花やうろこ状の葉も白く半透明で、5月から8月ごろの梅雨時に花を咲かせる。「幽霊茸(ユウレイダケ)」ともいう
※Escキーで戻ります。

「ギンリョウソウ(銀龍草)」(金谷匡人氏提供)。『日本国語大辞典』によれば、異名は「露左衛門(つゆざえもん)」。高さ約10センチメートル。山中の日陰、湿り気のあるところで、堆積した落ち葉などに生える。花やうろこ状の葉も白く半透明で、5月から8月ごろの梅雨時に花を咲かせる。「幽霊茸(ユウレイダケ)」ともいう
※写真をクリックで拡大。Escキーで戻ります。

  1. 江戸時代の岩国は、吉川家の領地、岩国藩。岩国藩は毛利元就(もうり もとなり)の次男・吉川元春(きっかわ もとはる)の第三子・広家(ひろいえ)を初代とする。城主格を許され、正式に藩となったのは、明治元(1868)年。本文※1へ戻る
  2. 岩国藩士の広瀬喜運(ひろせ きうん)が享和2(1802)年にまとめた地誌。本文※2へ戻る
  3. シマヘビの黒色変種の俗称。本文※3へ戻る
  4. 半夏生(はんげしょう)。夏至から11日目。太陽暦では7月2日ごろ。多くの村ではこの日までに田植えを終えることとされていた。本文※4へ戻る
  5. 夜市(やじ)村(現在の周南市)にも梅雨左衛門の伝承がある。本文※5へ戻る
  6. 島根県出雲地方では「ツユ神(じん)」と呼ばれ、梅雨の期間中、初めは頚(くび)を見せ、中頃には胴を見せ、終わりには尾を見せるという。また、島根県石見地方の「梅雨左衛門」には腰から下の病気に霊験があると伝わる。おねしょの治癒祈願もあるという。本文※6へ戻る
  7. 萩藩が天保12(1841)年以降、藩内の各村にさまざまな情報を提出させたものをまとめた地誌。本文※7へ戻る
  8. 午前8時ごろ。本文※8へ戻る
  9. 昭和53(1978)年に岩国徴古館から、江戸時代の記録にある怪談などをまとめ『岩邑怪談録』の続編として刊行。この六呂師村の梅雨左衛門の話は、地元在住の方の民俗的メモ集から採り、整理されたもの。本文※9へ戻る
  10. 夜市村の伝承では、梅雨左衛門をつつくと百日も梅雨が止まぬと恐れられていたという。本文※10へ戻る

参考文献